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こちらの「ダイダイとライオン| ITおとな女子が遠距離恋愛、結婚、海外移住した結果」の運営をしています。
記事を見てこの人、一体誰?と万が一にも興味を持っていただけたと思うと、かん極まります!
目次
ざっくりいうと、こんな人。
正直に言うと、私自身、すごく強いキャラを持っているかと言うとそうでもないです(笑)
今までの人生を振り返ると、
- 数学大嫌い文系なのに、理系大学へ進学し、IT修士
- 理系大学院から、アパレル販売→経理→Webシステムと社内転職
- 性格は、好奇心旺盛で、とにかく考える前にトライ!
- ハマったら、できるようになるまでトコトン!
- がむしゃらに婚活して、婚活歴8年!
- 仕事に生きると決めたら海外赴任彼との出会い。1年間遠距離恋愛の末に結婚
- 現在は中国で海外移住生活&専業主婦中
- モットーは、人の根幹となる部分を大切にすること!
最近周りから、「なんで、その進路選んだの?」と聞かれることが多くて、改めて自分の人生振り返って見ました。
今まであまり意識をしていなかったですが、経験を紐解くと、私ってこう言う人間なのかな?と思っています。
数学なんて意味わからない、なのに工業大学へ
理系大学院修士…と言うと、数学得意なイメージかもしれませんが、数学は大の苦手。
もっと言うと、算数の時代から本当に嫌い。
算数を解く意味がわからず、挫折!
どのくらい算数が嫌いかと言うと、試験問題へのツッコミを考えすぎて、問題が解けなかったくらい。
例えば、兄弟が同じ地点から、反対方向に池の周りを回って何分後に出会うかと言う問題、ご存知ですか?
「そんなのヨーイドンで時間を計ればわかるじゃん!って言うか、何分後に出会うか求めて、何に使うの?!」
機会工学部卒の父に言ったら、「それは問題だから、解くしかない!」って激しく怒られました。
…そんなこと言われても、そこが謎だともう先に進めない。
学校や塾で教えてくれる内容って、テキストに沿っては進むけど、それが将来何の役に立つかって教えてくれないじゃないですか。
自分の人生で役立つポイントがわからないと、一向にモチベーションがわかないのは、今も同じ。
池で兄弟が出会う時間を求めると、なんの職業になった時に役立つのかは誰も教えてくれない。
そんなトラウマがあるので、算数や数学とは極力関わらない人生を選んできました(笑)
文系が、あえて理系へ進学した理由
そんな算数嫌いの私が、なぜ突然文系から理系を選んだのか?
「高校2年生で気がついた自分が興味を持てることは、理系の分野だったから」
高校の時は、英語、現代文、日本史を中心に授業をする、文系選抜クラスに入りました。
数学が嫌いというだけで選んだ文系の道でしたが、高校2年生になって、本気で進路を考えた結果、やりたいことが見つかった。
当時「赤本」と呼ばれる大学毎の情報が載っている本を読んでいて、「水素燃料車」の文字にすごく惹かれたのを覚えています。
「これまでになかったエネルギーで車を動かす…なんてロマンがあるんだろう!!」
その赤本に載っていた慶應義塾大学の環境情報学部に、オープンキャンパスへ行き、さらに惚れ込みました。
第一志望は見事に、不合格!!行くところ…ない。
「SFC」で有名だった、慶応の環境情報学部は超難関。
エリート揃いというキラキラ感満載の大学でしたから、がむしゃらに勉強しました。
受験科目は英語と小論文のみ。
試験問題は、英語は数十ページという長文読解で、文章は2つ、問題は数問。
内容は、社会問題などの専門的内容が多かったので、最初過去問を解いた時はまず単語がわからない。
単語がわからなければ何もできない、と英語の単語カードを1万枚手作りして、必死に覚えました。
小論文は高校の先生にお願いをして、課外で2日に1回書いては添削、の繰り返し。
その結果、英語は偏差値65以上、小論文は模試で全国8位。
なのに、入試は…不合格!!!
他の大学に見向きもせず突っ走った結果、1月半ばに他の大学が受けれない。
本当に、浪人しか後がない状態になってしまいました。
文理共通という逃げ道で、晴れてIT女子に。
受験勉強が他の大学の科目にあまり活かせず、受けれる学校がない!!
「浪人するなら、学費は出さない!!」
と強く母に言われた結果、打ちひしがれたプライドとともに、必死で他の大学を探しましたよ、えぇ。
慌てて英語と現代文で受験ができる「文理共通」、と書かれた学部の入試を受けました。
選んだ学部は、慶應に触発されて新設された、「環境情報学部」。
学科は、マスコミ、Webのメディア論や、ホームページデザイン、プログラミングをやる情報メディアを選びました。
なぜこの学科を専攻したのかというと、理由は2つあります!
- 当時、もうひとつ興味があったのが「html」や「プログラミング」だったから。
- そしてがっつりとした理系じゃないから。
我が家はエンジニアの父の影響で、中学生の時にはインターネットが契約されていました。
ちょうど、2chやmixiが出始めた時だったと思います。
インターネットを繋ぐときは、電話回線引っこ抜き、LANケーブルを挿し、「ピ~ヒョロロ~~」音が出る時です(笑)。
私はそんな環境があったので、結構早くからインターネットの面白さは知っていた。
「私が書いたこと、思ったことを実際に会わなくても、色々な人に見てもらえるなんて、おもしろい!!」
どんどん、自分のホームページを作るということに熱中して行ったのです。
友人のイラストを展示するホームページを作り始め、本格的にサイト制作ソフトの「ホームページビルダー」を買ってもらい、その面白さに、どんどんハマって行きました。
何時間やっていても、楽しい。
それは今も変わっていません。
こんなにもインターネットや関連サービスが当たり前のようになると思っていなかったけど、いまは自分の選んだ道が正解だった、と思っています。
仕事はあらゆる職種へ「社内転職」
社会人になってからは、会社の中でいろいろな職種を転々としています。
全部同じ会社なのに…(笑)
- 女性向けアパレル販売員、3年
- 経理担当へ配置転換、2年
- Webシステムの開発部署へ配置転換、4年
大学院修了後、私はIT企業…ではなく、アパレルなどの小売や商業施設を運営している会社に入りました。
小売の会社を選んだのは、
「アパレル系とかってシステムに弱い人多そう。自分は得意だから、絶対人より抜きん出れるハズ!」
と思ったから。
性格、悪いですかね?(笑)
私の場合、修士の研究テーマは、プログラミングなど技術系ではなく、社会心理学に近い分野。
IT企業だったら、自分くらいのレベルの人はたくさんいて、きっと目立たない、と思ってました。
だから、徹底的に自分の専門や詳しいことが優位になるのは、どんな業界なのか?を真剣に考えたんです。
リケジョ、アパレル販売員になる
最初の配属は、初めてのアパレル販売員。
本当に未経験でできないことだらけで、仕事の後は、毎日泣いてました。
- お客様に話しかけて無視されるたびに、「ガーーーーンっ」
- オススメした商品が買ってもらえなくて、「ガーーーーンっ」
- お客様に聞かれたことが答えられなくて、「ガーーーーンっ」
- レジが打つのが遅すぎて、「ガーーーーンっ」
- 売上全然取れなくて、「ガーーーーンっ」
凹むポイントが多すぎて、死にそうなくらい(笑)。
最初は、知らない人に話しかけるのも、異常に緊張。
「お声がけしないと、売れるようにならない!」
「だけど、販売員に話しかけられたくないお客さんもいるから、空気読んでね!」
誰が話しかけられたくないかなんて、わかるかーーーー!!
当時の上司は、そんな私を見てかなりインパクトのあるアドバイスをくれました。
「無視する感じ悪いお客さんは、良い死に方しないって思え」
これでかなり吹っ切れて、徐々にお客さんとちょうど良い距離感をはかれるようになって行きました。
服屋の店員を無視すると、いい死に方しないらしいので、お気をつけて(笑)。
配置転換は、突然に。
その後2年間は、地道にできないところを練習する日々。
その後東日本大震災があり、お客さんが全くこない日々が1ヶ月続きました。
今考えると、この大震災が私にとっては転機でした。
それまで売上があまりない分、他の人が接客している時間に、人一倍話しかけてたので、顔を知っている人が増えたんです。
「このお客さん、どこかで見たことあるな。誰だっけ?」
震災の後、顔を知っているお客さんが1日に何人も来始めました。
以前に話しましたよね!!と口火を切ると、みんなニコニコして話をしてくれるようになったんです。
そして私から買っていってくれる。
3ヶ月に1回通ってくれて、新しい服を買っていってくれる。
こんな経験は初めてで、自分はお客様と話をすることすごく好きなんだ!と気付きました。
あっという間に、売上は上位へ。
そんな矢先、最初は経理、そしてその後Webサイトのシステム開発部署へ、配置転換!
お客さんに会えなくなる寂しさと、
「あーー、また一から仕事覚えなきゃいけないじゃん…」という失意のどん底。
でも、このシステム開発の仕事が、まさに私には天職だったんですよねぇ。
三つ子の魂百まで。
そこから2年間死ぬほど仕事に没頭して、昇進。
プロジェクトマネージャーになり、10人以上の後輩を抱えるまでになりました。
性格は、好奇心旺盛
性格は、単純です。
- 好奇心旺盛で、興味を持ったらとりあえずやってみる
- 後先考えずに、とりあえずトライ!
- その後、急に冷める
- 数ヶ月後にリバイバル!
- でもハマったことは、没頭し続ける
20代の頃は特に、思い立ったら吉日!で突っ走って、走り始めてから考える日々。
特に資格を取るのに、ハマっていた時期があり、これ何?って思われそうな資格も持っています!
- 秘書検定2級
- 色彩検定3級
- 英検2級
- TOEIC770
- ITパスポート
- FASS検定
- メンタルヘルスマネジメント検定2種、3種
- アロマテラピー検定1級
- 耳ツボジュエラーディプロマ
- ボディジュエラーディプロマ
とにかく強い興味を持ったら、できるようになる、わかるようになるために勉強して、その成果として資格を取っていました。
でも、あまりにも上手くできるようにならないと、途中で飽きる。
1番の強みは「ハマれば一途」
そんな私でも、ずっと熱が下がらないこともあります。
それの代表例が、海外熱!!
それもオーストラリアへの熱い気持ちは冷めません!!(別に病気ではありませんので、ご安心を!)
高校時代に大好きだった英語の先生が、学生時代の留学先だったと話をしてくれて、興味を持ちました。
実際に行きたいと思ったのは、その先生が高校1年の時に急に退職、オーストラリアの大学へ再度進学してしまったんです!!
そこから、オーストラリアにはどんな素敵なことがあるんだろう…と思い始めました。
大学に行って、晴れて自由の身。
初めての海外旅行は、絶対にオーストラリアと決めていました!
「そんなに行きたいなら、まず稼げ」
母のお達しがあり、とにかく色々なバイトを掛け持ちする日々でした。
「お金足りない!だったら仕事を増やそう!」
塾講師と、横浜スタジアムのビールの売り子やプリンタのキャンギャルなど…今では良い思い出です。
好きなことは、できるまで。
多分、負けず嫌いなんでしょうね(笑)。
晴れて旅費のギリギリのお金を貯金して、大学1年生の冬に初のオーストラリアへ行けることになり意気揚々。
しかし、初めての単独海外は、予想以上にできないことだらけ。
しかもオーストラリアのホテルのフロントで、めっちゃ怒鳴られたんです。
アメリカに幼少期にいたのと、高校で猛勉強したので、かなり自信があった英語。
オーストラリアへ行ったら、オーストラリア訛りがキツすぎて聞き取れない…
そこでホテルのフロントでモジモジしていたら、
「わかってんのか、わかってないのかハッキリしろ!!!」と怒鳴られ、そこから私の英語力強化に火がつきました。
その次の年、「金がなければバイトを増やす方式」で貯めた30万を握りしめて、オーストラリア人の先生と1日6時間話すプログラムへ参加しました。
そこで格段にオーストラリア英語を聞けて、話せるようになった私。
さらに次の年は、1ヶ月間同じプログラムに参加するため、合計60万近くを貯めました。
その結果、大学の英語の授業では、
「君の英語の先生は、オーストラリア人だね?」と言われるまでに、オーストラリア訛りをマスターした模様(笑)。
オーストラリアでの経験は、今では私に女子の海外ひとり旅を自由にさせてくれる、貴重な経験です。
婚活歴8年。結婚は諦めたあとに…
20代の頃の恋愛事情は、散々でした(笑)。
28歳の結婚を夢見ていた20代。
就職がきっかけで学生時代に付き合っていた彼と別れてからは、もっぱら合コンに集中!
20代の販売員時代はシフト制で残業NG。
定時で仕事は終わることがほとんど。
何かやるっていったら、ここはやっぱり婚活でしょ!
婚活っていったら、合コンでしょ!
アパレル販売員って派手なイメージなのか、合コン話にも困ることなく…
でも、勝率はほぼ0!(笑)
仕事に生きる!はずが、結婚してさらに…
婚活で相手を見つけるなら、「結婚相手」じゃなくて「恋愛相手」を見つけることに注力したほうがいい。
今婚活を頑張っている人には、声を大にして言いたいです!
私は出会ってすぐに結婚したい!と思える「結婚相手」を、合コンで探そうとして失敗しました。
合コンで会ったら、席に着いた瞬間に相手をOKかNGかをチェック!!
その時は、相手を知ろうともしなかったし、そこから別の縁を求めることもしませんでした。
あまりよく考えないまま、そんな婚活を繰り返し…
月8回合コンを8年もしたのに、計算したら100万くらい使ったのに…
隣に彼氏はいない!!(笑)
気付いた時には29歳で、20代は何年も付き合うような彼もいなくて、半分諦めモード。
30歳の時に婚活パーティーで知り合った人と付き合ったものの、結婚をしたいとまでは好きになれずに、お別れ。
31歳の時は、もう結婚は諦めて仕事に生きる!!と決意。
でも、そんな時の方がうまくもいくもの。
友だちの紹介で知り合った彼とデートしてみたら、「もっと一緒にいたい」と素直に思えました。
あれだけ大変だった恋愛の相手探し、意外にもお互いに好きになるのに時間はかかりませんでした。
付き合って間もなく海外赴任となった彼と1年間の遠距離恋愛を経て、現在は結婚しました!
私は仕事を休職して、赴任先の中国へ移住し、いまは一緒に暮らしています。
人生のモットーは?
どんな経験の中でも、知識を身につけるよりも、大切にしなければいけないことは変わらない、ってことに気がつきました。
私は自分の経験から、どんなことも共通してこれだけは大切にしよう、と決めていることがあります。
- 人から「ありがとう」と言ってもらえるにはどうしたらいいか、を考えて実行
- 締切、約束、礼儀など基本的な礼節は守る
- 自分から相手に働きかける
仕事には、専門知識や経験があるほうが評価されることってありますよね。
それは、ある程度の年数が経って自分に身に付くまで、評価されにくいのは仕方がないです。
だけど、上の3つは別に専門知識があろうがなかろうが、関係ないこと。
なので、私はこの3つをモットーをきちんと達成できるように、仕事でも、生活でも、精進しようと思っています!
ずっとこんなことができている人間なのか、と言うと、そんなことはなく。
ふとした時に忘れてしまうこともあるので、努力が必要ですよね。
人生、ずっと勉強!
このサイトが目指しているところ
私は今まで、IT強め女子、アパレル販売員、事務職、休職、婚活失敗、遠距離恋愛、オーストラリア好き、海外在住、専業主婦経験…と色々経験しています。
そんな経験の中で誰か一人でも、同じ状況の人の「ありがとう」につながることをが書けるようになることが、目標です。
人生の中で自分が経験したこと、考えたことがちょこっとだけでも不安を解消できたり、ちょこっとだけでも誰かの役に立てたらいいな、と思ってます。
なぜブログを書いているのか?って難しい質問だな、と最近感じました。
もしかしたら私の書いていることなんて、誰にも役に立たないかもしれないのに…と思ったり。
でもまぁ、日本人の1億人のうち、誰か一人でも役にたったといえれば、目標は達成していると自分に甘い感じで書いています。
最悪、未来の自分のために、過去の自分はどう考えていたよーと言うのが伝われば、もうそれでもいいかも…(笑)
しかし、目標は自分以外の誰かの役に立つ記事を書くこと、です!