駐在妻

駐在妻が引きこもり気味で自分はダメ人間と感じてしまう理由と対処法

駐在妻として海外で暮らしてはいるけれども、最近家に引きこもり気味になっていて自分はダメな人間かも、と悩んでいませんか?

この記事では、なぜ駐在妻生活でちょっと家に引きこもり気味になるとなぜか自分がダメ人間に感じてしまうのか、そしてそんな気持ちを吹き飛ばす考え方をまとめました。

私自身駐在妻なりたてで物珍しさもひと段落してから、家に引きこもり気味になって自己嫌悪に陥っている時もありました。ですがご紹介する考え方をしたら、時には引きこもってもいいじゃない!と思えて気がとても楽になりました。

理由や考え方は人によっても違うと思うので、ぜひご自分なりの考え方を見つける一助としていただければ嬉しいです。

海外の駐在妻が引きこもる自分をダメ人間だと感じてしまう理由

そもそも子なしの駐在妻がどうして家に引きこもり気味になると、なんだか「ダメな人間」と感じてしまうのでしょうか。

まず駐在妻の引きこもり気味だと、なんだか周りから冷たい目でみられているような気持ちになる理由を私なりに考えてみました。

  1. 自分や世間につくられた駐在妻像を信じてしまう
  2. 周りの言葉でさらに駐在妻はこうあるべき像が加速
  3. こうあるべき駐在妻像と現実とのギャップを感じてしまう

私が考えるには「駐在妻はこうあるべき」という像を世間も自分でも作り上げてしまい、理想と現実のギャップが埋められないことに「ダメな人間」と感じているようにしか思えないのです。

世間や周囲に作られた駐在妻像の呪い

2年間駐在妻をしてきてなんだか引きこもっているとダメな人間に思えてしまう理由の1つ目は、私たちや周囲にある「駐在妻像」に影響されているからだと考えています。

  • テレビなどで世間に「駐在妻像」がしみついている
  • SNSで他の駐在妻のキラキラを見てしまう

日本の社会は様々な「多様化」が議論されるのにもかかわらず、駐在妻像は均質的で1つのものを周囲も本人を引きずっているように感じます。

私は自分の周りの人と話をしていても、色々な記事を見ても「駐在妻ってこうなんでしょ像」がおそらく一定期間アップデートされていないのではないでしょうか。

テレビもおもしろおかしくそういった「作られた駐在妻像」に合う生活をしている駐在妻さんを放映しますので、そのイメージはさらに強くなります。

ですが個人的にこういうテレビに出てくる駐在妻さんたちは、私より上の世代が多いように感じます。まず世代が「ザ・バブル世代」で「夫は役職付き」の方も多くまさにこの「作られた駐在妻像」を良しとしている方も多いはず。

テレビに出演するくらいですからそういうのが好きな方もいるでしょう。まさかテレビに出るのに部屋着でスッピンで出てくる人はいませんから(笑)。

またインスタなどでおしゃれをして、高級ホテルやラウンジ、エステや買い物など「キラキラ生活」をアップされている駐在妻さんもいます。

それに比べると自分のインスタはなんか貧相…むしろインスタにあげることもない…なんて凹む必要はありません。

インスタは「人に見せたい生活の切り取り」をする人が多いと思います。自分に置き換えても「なんかオシャレだから人に見せたい」写真しかインスタには載せませんから(笑)。

なのでインスタがキラキラしているからと言って、本当に毎日そういう生活をしているとは限りません。本当のことは本人の生活を見なければ誰もわからないので、自分の見えないところを勝手に想像して自分と比較することはないのです。

もしインスタのアカウントを運営している本人を知っていて本当に24時間365日、そう言った生活をしているならそれは本人が良いと思う価値観で、同じ駐在妻で括って自分と比較する必要はないと思います。

もちろんそういう生活を本当にしたいと思うなら、話は別ですが。

海外に暮らす人を「村八分」にする気質がある人の呪い

子なしの駐在妻が周りからよく言われるのは、「子育てもなくて暇そう」「毎日何をしているの?」という二大巨頭の言葉。

先に書いた強烈に根付いた「駐在妻像」に加え、周囲からの心ない言葉により、「人に話せるスケジュールを埋めなければ…それができない自分はとてつもなくダメな人間なのではないか…」と考えてしまっているのではないでしょうか。

私がこの2つの言葉をかけられていつも思うのは、こういう人たちは私たちを海外で暮らす人と日本にいる人と2分して、自分の身内ではない人と括って接してきているのではないか、ということです。

こういう人たちに聞きたいのは、日本で仕事をやめて専業主婦になるという人にも同じ言葉を投げかけられるのか?ということです。面と向かってそんな失礼なことを直接言えるのでしょうか?

他人の生活に踏み込み「毎日暇そうでいいよね」「毎日何するの?」なんて言われた日には、そんな友だちとは一生縁を切るでしょう。

なのに海外に暮らすとなるとなぜか平気で失礼な言葉を吐いてくるのは、「もう自分の身内ではないから自分の疑問を聞いても良い」とある一種の村八分的な考えから来るのではないか、と感じています。

日本で一緒に毎日の生活を闘うのなら仲間だけど、一人だけ良い世界にいくなんてずるい…そんな人はもう仲間じゃない。

そんな感覚です。

しかもテレビ、インスタ、インターネットなどで勝手に作られて一切アップデートされることのない駐在妻像を勝手に想像し、自分との生活と比較して勝手に村八分的な扱いにしてくるので本当に厄介です。

冷静に考えると、こんな他人の呪いしか出てこないような意見に耳を傾けて本気で悩むのはバカらしいと思いませんか。

せっかくの自分の生活なのに、なぜ自分に関係のない人の意見に振り回されて自分の生活スタイルを気にしなければいけないのでしょうか。

駐在妻が引きこもりになってもそれは日常生活の1つ

日本に暮らしている人から見れば、海外に暮らしている私たちは「非日常」です。いわば海外旅行と同じ感覚で、旅行で感じるウキウキ感を想像してどれだけ楽しい生活なんだろう!と考えるでしょう。

ですが海外の地で暮らしている私たちは、暮らしている国や場所が自分の家になりそれが日常になります。旅行と日常生活は違うように、駐在妻が海外で家に引きこもり気味になっても気にする必要はありません。

日本で暮らしていたって気が向かない休日は家でゴロゴロしている時だってありますし、気がついたら1日寝て過ごしている日だってあるでしょう。

それが海外に暮らしたら急に毎日高級ホテルやランチ、オシャレなカフェやエステでゆっくりする生活になるなんてことはありません。

だってだだ24時間365日、定住する場所が違うだけで、私たちは日常生活を送っているのですから。

駐在妻が引きこもりになっても前向きになれる考え方

2年間の駐在妻生活で自分が落ち込まず、ほぼ駐在妻生活を前向きに捉えられた自分自身の考え方を紹介します。

他の方の参考になるかはわかりませんが、駐在妻生活で少し落ち込んでいる…そんな方の参考になれば嬉しいです。

駐在妻の期間は人生の夏休みだと考える

私は駐在妻の期間は、人生最大の夏休みだといつも言っています。

夏休みですからある程度の宿題をしながら、自分の好きなように過ごせば良いのです。そしてまた夏休みが明けたら、日常の生活に戻るだけです。

他の人は人生で夏休みなんて取れない人が多いですから、感謝しつつも最大限にそのチャンスを活かしたら良いと思います。

具体的には日本の生活の中ではできなかったこと、ずっとやってみたかったことなどをやればいいですし、夏休みなのですから日常の日本で暮らすのと同じことで悩むのはとてももったいないと思います。

私は日本ではモーレツ社員ばりに仕事最優先の生活をして、5年以上昼食もとらずただひたすら昇進を目指して仕事をしていました。もちろん駐在妻の2年間仕事を続けていれば、もっと昇進していたかもしれません。

ですが仕事を優先にしておかしな生活を続けていたら、もしかしたら病気や倒れたり、心を病んでいたかもしれません。

結果はどちらになったかわかりませんが、人はどんな選択をしても選択しなかった方の後悔をするようにできています。選択しなかったからと言ってそちらをあまり長く悔やんでも意味がないのです。

ブランクではなく「準備期間」だと考える

日本で仕事をしていた人、仕事を続けたいと悩んでいる人の中には、仕事をしていない不安がお金を稼いでいない不安につながり、そこから自分の存在意義さえもないような感覚を持っている人もいると思います。

もし仕事をしていない=お金を稼いでいない=存在意義がないと感じているなら、この人生最大の夏休みである駐在妻の期間をブランクではなく次の仕事への「準備期間」と考えるのも良い手ですよ。

自分自身この考え方で、日本帰国後に駐在妻になる前より絶対収入アップ!を目標に、駐在妻期間中に多くのことを学べたという手応えがあります。

駐在妻になりたての時は日本との生活と駐在妻になった時の生活のギャップがあまりにも大きく、お金を稼いでいない自分はなんのために存在しているのか、と感じていた時もありました。

ですが夫の海外赴任のタイミングで一緒に暮らすと決めた以上、その期間を自分のために最大限使って自分がスキルアップすれば良いじゃないか、と思い直したのです。

存在意義がない…と落ち込むだけで時間を過ごしてしまっては、本当に駐在妻をした期間が空白の期間になってしまいます。

ですが駐在妻期間中に1つでも2つでも日本にいた時とは違うスキル、考え方、知識などが身についたら、日本にいた時より駐在妻生活を終えた自分の方がパワーアップしていることになります。

それは現地の外国語でも良いですし、駐在妻になる前の仕事に関連することでも昔からやりたかったことでも趣味を極めるのでも、なんでも良いと思います。

もしかしたら駐在妻生活中に身につけたことが、日本に帰ってからの仕事に結びつくかもしれません。

やり始めた時は無理…と思うことでも、意外に毎日ちょっとずつでも取り組むと時間が過ぎたら気がついたらできていたってこともありますよ。

私は大学時代に挫折した中国語は、2年間で日常生活で暮らせるまでになりました。大丈夫です、私が特別なのではなく、ただ時間をかけただけです。

周りの「あるべき駐在妻像」に無理に合わせる必要はない。引きこもりの日があったっていい

日本にいたって職場と家を往復するだけの生活をしている人が多いのに、急に駐在妻になるからと言って数十年アップデートされない駐在妻のあるべき像に必ず従う必要はありません。

少なからず日本とは違う文化や言語、人間関係の中で日常生活を送ることは、経験がない人が考えるよりはるかにハードルが高いことです。

日本とはまた別の悩みも当然出てきますし、外国語がうまく通じずやりたいことを我慢するストレスもあります。

その上周囲から無理やり作られた駐在妻像に合わせて、自己嫌悪に陥る義理なんてありません。

駐在妻の期間は海外での貴重な経験と共に、ブランクではなく日本に帰った後の生活や仕事の準備期間として自分のために時間を使って良いのです。

もし「私、全然駐在妻っぽくない」と感じているなら、ぜひ周囲から作られた駐在妻像は一度忘れて、自分がどう過ごすと快適なのかを考えてみることをオススメします。

-駐在妻